映画評論家

ホーム・ムービーのような日常的な生活スケッチから、「私」がカメラをまわすことによって、いっきょに時空を超えてドラマが生まれてくるかのようだ。祖父の死後、何本か見出された9、5mmのフィルムを上映して、そこにうつっている親族たちがわいわい思い出話をしながら見るシーンなど、ジャン・ルーシュ監督の『ジャガール』(1967)を想起させる。

(slowtrain 「山田宏一のなんでも映画誌」第20回「日常の映画的冒険」より抜粋)


演出家

作品を支える素材がこのように優れていることがグランプリを得た大きな要因だが、この作者はラフなように見えて、じつはかなり巧妙に素材を料理している。例えば最初はいかにもホーム・ムービーらしく作者自身が画面に出てきたりしている(墓参りのところ)。ところが満州ではたった一カット、それも赤い手袋がちらと見えて作者を暗示するだけ、それ以降は作者はじょじょに影を見せなくなる。このことがちょうど私的なものから日本の歴史へとフィルムがひろがるのとうまくクロスしている。私的なものは公的なものへとその座をゆずるのだ。

(イメージフォーラムフェスティバル1992カタログ審査員講評より抜粋)


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