愛情の視線が織り上げた
ドキュメンタリー

─三浦淳子さんの映画表現
鈴木志郎康(詩人・映像作家)
 
あれは何年前のことだったか、三浦淳子さんが『空とコムローイ』の 初めてのタイのロケーションから帰って編集したテープを見せて貰ったとき、ペンサ神父と車に乗って橋のない川を渡り、山奥のアカ族の村に行くところで、わたしは三浦さんがそれまで創ってきた個人映画の枠を どんどん越えていくのを感じた。

アカ族の村は三浦さんに取って未知の世界だ。その村に着いて、村の風習の「アラチャマ」という歓迎の挨拶を受ける。それは、子どもから大人に到るまで、歓迎に集まってきた村人全員と握手をするというもので、三浦さんは片手にカメラを持ち、撮影しながら、片手で村人との握手を続けていた。

三浦さんは自分の身近な空間から出て、未知の世界と握手していると思った。七年掛けて完成させた『空とコムローイ』は、三浦さんにとっての未知の世界が、七年間つき合ってようやく親しめる世界になったということを語っている作品で、その間、三浦さんの映像につき合って来たわたしには感慨深いもの がある。
 
三浦淳子さんとの付き合いは、1992年の処女作『トマトを植え た日』以来だ。三浦さんは満州の開拓民だった祖父の姿を、彼が残した 9.5ミリのフィルムを活かすなどして、イメージとして描き、また『孤独の輪郭』で、その満州での女性アナウンサーになったという幻覚に生きる祖母の姿をリアルに描いた。

それは、広告代理店に勤めて給料を 貰って生活するだけでは飽き足りない表現に向かう心があって、その心と祖父母に寄せる愛情が結ばれたところに生まれた作品なのだ。

個人映画は自己表現としての映画だ。自己表現を映像で実現しようとすれば、自分の幻想に頼るか、身近なところにある時空を映像にすることになる。そこに家族が現れることが多くなる。勤めを持った身で映画を作る となれば、そういうことになるしかない。三浦さんは祖父母に対する愛 情を軸に最良の作品を創ったと思う。

ところが、作品の制作を続ければ、作家として育っていく。その作家としての三浦さんの表現の基本は、個人映画の制作で培ってきた「愛情の視線」だと言えよう。『空とコムローイ』はその三浦さんの愛情の視線によって織り上げられている作品だ。
 
真実だけが映されているが故に引き込まてしまう
─三浦さんの映画によせて
伊東三平(放送作家)
 
CGを駆使した最近の映像は不可能なことでも表現が可能であるが それが絵空事であることの域を出ないし、後に何も残らない。 しかし、この「空とコムローイ」には派手な映像は出てこないが 真実だけが映されているが故に引き込まてしまう。
エイズで母を亡くした2歳の幼女ファが、イタリア人牧師に聞く。 「お母さんはどこ?」「この土の中だよ」 ファは母の土饅頭を小さな手で叩きながら「ちょっと開けてみせて・・・」 広げた原稿用紙の前で作家が考え及ぶセリフではない。  母を慕う幼女の何気ない心の叫びが見る者の胸を打ちのめす。

手持ちのカメラでシャッターチャンスを狙う画面の揺れも ドキュメンタリーなればこその緊迫感に変わる。 丸7年間通い詰めた三浦監督・・・撮影から編集・ナレーションまで 八面六臂の活躍をする彼女にただただ敬意を表する。 このドキュメンタリーを見終わって考えさせられた。
「文明と言うのは、時と場合によってはウィルスに変化するのではないか?」と。 おだやかな山岳民族の村に道路が通じ、電気が通ると 「麻薬」「人身売買」「エイズ」などが忍び寄ってくる。 光と影の、影の部分だけが免疫性のない彼らに襲いかかる悲劇。 観る者は“見る目”を持ち、見終わった後は思索が必要な「空とコムローイ」である。
 
 
 
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